斜陽産業からの脱出(3)~転勤が多かった新聞記者の場合~

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斜陽産業からの脱出に成功した友人・知人たちを紹介するシリーズ。3回目は、選挙に立候補して議員になった人々について書いてみたい。1回目の「大手スーパー社員の場合」はこちら、2回目の「女装コンテスト優勝経験を持つ銀行員の場合」はこちら

私の知り合いには、選挙に出て議員になった人が何人かいる。

新聞記者だったMさんは、転勤が多かった。40歳を過ぎたころ、たまたま奥様の出身地に近いある地方都市に赴任した。その地方都市から、別の土地への転勤を打診されたとき、会社を辞めた。積み上げてきたキャリアを捨て、奥様の出身地に近いその地方都市に残る決断をしたのだ。

転機は東日本大震災だったと聞く。生きている限り、いつどんな災害に遭うか分からない。それを実感したMさんは、家族との時間をもっと大事にしたいという気持ちになった。退職後、地域社会を活性化させるための勉強会に出るなど、少しずつ選挙に出る準備を進めたようだ。会社を辞めてから1年ちょっと後に行われた地方議員選挙で、初当選を飾った。

高校の同級生だったB君は、広告代理店で働いていた。彼とはそれほど親しくなかったので、会社員時代の仕事ぶりは正直、よく知らない。ネットサーフィンをしていたある時、ある新聞社のサイトで偶然、彼の名前を見つけた。B君が、彼の一族のルーツがある県から、国政選挙に出るという記事だった。残念ながら、彼はその選挙で落選した。次の選挙もうまくいかなかったが、3度目の正直で、念願だった議員になった。国政ではなく、地方議員だが、彼のHPを見ると、地域のために仕事をできることに、喜びを感じているようだった。

新聞社も広告代理店も、斜陽産業の代表格と言える存在だ。この2業種にテレビ局や出版社などを加えたマスコミ業界の人には、狭き門ながら、政界(地方・中央を問わず)に打って出るという「脱出ルート」があるようだ。職業柄、政治家など有力者と知り合う機会が多いからだと思う。安倍首相の父、安倍晋太郎氏は毎日新聞出身。石原慎太郎氏の息子、伸晃氏は日本テレビの出身だ。もちろん選挙に出たからと言って、マスコミ関係者なら誰でも当選できるほど甘くはない。東京都知事選で、テレビ局出身で高い知名度を誇った鳥越俊太郎氏が惨敗したのは記憶に新しい。

MさんもB君も、議員社会では若手の部類に入る。議員という仕事は、もっとも少ない参議院議員でも6年に1度、選挙に臨まなくてはいけない。いつ落選してもおかしくない不安定な仕事だ。ただ、日本が民主主義国家である限り、議員という仕事はなくならないし、誰かがやらなくてはいけない仕事でもある。熱意を持って、有権者の代表として活動を続けてほしい。

2人の奮闘を心から期待している。




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